7月といえば、七夕ですね♪
環境スペーススタッフの家庭では、子どもが保育園から持ち帰った笹に短冊や飾りをつけて楽しんでいますよ(*^^*)
子どもが毎年作ってくる織姫と彦星には、顔の描き方や色の塗り方で成長が感じられます。
可愛いね♪と子どもと一緒に見ていたら、「七夕ってなに?織姫と彦星ってだれなの?」と聞かれてしまいました。
えっ保育園から聞いてないの??(^_^;)
ということで今回は、(環境スペーススタッフも自信をもって説明できなかった)七夕のお話について調べてみました。
■七夕(たなばた)とは
五節句の一つで、笹を飾るため「笹の節句」とも呼ばれます。
「陽数」の意味を持つ奇数が重なる7月7日は、縁起が良い日にちだと考えられてきました。
この日の夕方に行事を行うため、「七夕」という名前になったそうです。
神様が宿るところを笹竹として、願いを込めた短冊や飾りをつけて天に向かって掲げたのが始まりだとか。
短冊は陰陽五行説でいうところの「黒・白・赤・黄・青」の5色を使い、飾りとしてつけるのが本来の習わしです。
現在のようにお願い事を書くようになったのは江戸時代からで、寺子屋に通う子ども達が「字が上手になりますように」と願っていました。
これが庶民の大人たちの間でも広まり、一般的な風習になったそうです。
■知ってる?七夕伝説
七夕の由来は諸説ありますが、最も有名なものを環境スペーススタッフが解説しましょう。
「七夕伝説」または「織女牽牛伝説」とも呼ばれ、中国から伝わったお話です。
天の川の西岸に住んでいた織姫は、天の神様 天帝の娘でした。
織姫は美しく丈夫な布を織る名手です。
いっぽう、東の岸には働き者の牛飼いの青年 牽牛(けんぎゅう)が暮らしていました。
ある日天帝は、真面目に働くばかりの娘と青年を心配して、「夫婦になってはどうか」と2人を引き合わせます。
こうして織姫と牽牛は結婚しました。
ところが、2人が一緒に暮らし始めると、朝から晩までおしゃべり三昧。
全く働かなくなってしまったのです。
これに怒った天帝は、2人を引き離して天の川の西と東に追いやってしまいます。
そして一年に一度だけ、2人は天の川を渡って会うことを許されました。
これが7月7日の晩、七夕の始まりだといわれています。
牽牛は日本では彦星と呼ばれるようになり、織姫とともに夜空に瞬いているでしょう。
環境スペーススタッフが子どもの頃聞いた話では、人間界に降りてきた織姫を無理やり彦星が引き留めて、天帝から怒られたんじゃなかったかな…?(^_^;)
これは「羽衣伝説」とも呼ばれ、混同して伝わっているという説もあります。
本当の七夕伝説はどちらなのか、興味がある方は調べてみてくださいね♪